いったーん

オクオカの
暮らしにふれる

地域のためや、だれかのため。ではなく、まずは自分が楽しむことが大切と語る倉橋さんにご自身の楽しみ方や思いをお聞きしました。

オクオカ暮らしのインタビュー

移住したまちで、どうしたら上手く暮らしていけるのかな。どんな暮らしが待っているのかな。移住前に抱える不安。その答えは実際にこのまちで暮らしている人の中にそのヒントがあり、またそれはこのまちの新しい入り口なのではないかと思い、インタビューに伺ってみました。今回は「地域の魅力を伝える」「オクオカ暮らしに近づく」「オクオカと暮らす」の3つのテーマにそって5つの質問項目を設け、それぞれの中から1つずつ選んでもらい、お話を伺いました。そして、インタビューの最後に「このまちの入り口を増やすにはどうしたらいいと思いますか?」という共通の質問を投げかけ、お話を伺った方々の地域に対する思いを聞いています。

お話を聞いた人:倉橋 知栄さん
ご主人と結婚したのを機に、ご主人の実家である型埜町へ。地域活性化について一から学びたい!と大学に進学し学業と母業、さらには地域での活動に毎日精力的に活動中。
形埜(かたの)町在住

ご結婚を機にご主人の実家である形埜地区に移住をされ、お子さんを育てながら5年前に「田舎とまちをつなぐ べーぐる庵」というパン屋さんをご自宅横にオープン。多くのお客さんが訪れる人気店となるも、本来の目的であった「田舎とまちをつなぐ」ということをもっと本格的に実施したい、そのために地域の活性化について学術的に学びたいと一念発起し、お店を閉めて2023年4月より大学生になりました。一方で移住アドバイザーとして地域の情報をまとめる役もされています。さらには地域の有志が定期的に集まる「形埜どうする会」で意見交換をしながら、地域の課題の解決策を考えたり、また地域の人たちとともにこれからの地域をどうするべきかを日々考え、また、自ら地域の川を遊べる場所にと、仲間を募って整備をし、楽しんでいる姿を発信しています。 私は、彼女の焼くベーグルの大ファンでお店をやっていたころに時間を見つけてはお邪魔していました。そこから突然大学生になられて久しぶりにゆっくりお話を聞くことができました。大学生、母、地域住民というさまざまな顔を持ちながら、このまちで暮らし、そしてパワフルに動く彼女に、これまでの苦労やこれからの希望をお聞きすることができるインタビューとなりました。

お話を聞いた日:2024年2月29日

このまちの魅力を教えてください。

倉橋:「まだまだ良くなっていく余地がいっぱいある!」ってことかな。良くも悪くも、みんなまだ危機感がないと思います。最近でこそやっと危機感を持ちだしたけど、私が動き出した6年ぐらい前は「なんか人数減っちゃうよね」ぐらいの認識だったんです。それで人数が減ったらどうなるのかっていうと、小学校のお母さんたちは役員になる確率が上がってしまうので、その中で自分が役員にならない方法を必死になって考えていた。

石原:根本の解決ではないですよね。

倉橋:そうそう。同じ保護者としてその姿を見て「いや、やるべきことそれじゃないよな」って思ったことが、移住促進に地域で取り組むべきだと思ったきっかけとしては大きいですね。子どもの人数が少ないのを解決すれば、もちろん役員が回ってくる確率が高いという問題は解決するし、役員どうこうよりもっと大きい問題が過疎にはあると思ってたからね。でも当時はみんな過疎ということへの危機感がないのか、そもそも関心がないのかが、私には分からなかったです。なにか活動したいと思って、色々声かけても反応してくれる人はほとんどいなかったんですよ。家族からも反対されたし。

石原:え、家族からも反対されたんですね。

倉橋:「なにもお前が動かなくてもいい!」ってね。誰も出る杭にはなりたくないんですよね。田舎とまちをつなぐ店のときも「なんでお前がそんなことをするんだ?」って言われましたし。みんなそのままでいいって思ってる。でも私は変えたいと思ってる。今までの流れでいったら人数は減っていくわけだから、それを止めるために、何か取っ掛かりのをつくりたかったんです。でもその取っ掛かりっていうのは、出る杭だから周りの人は気になるわけです。それを家族の中から出したくないんですよね。それはどの家族も同じで、誰もが出る杭にはなりたくないって過ごしてるんだと思います。

石原:それは、6年経っても変わらないですか?

倉橋:最近ちょっと変わりました。みんなで話し合おうって会ができたのは、2023年かなあ。「形埜どうする会」っていうのを有志で声かけてはじめて。10回ぐらい話し合いをしてる。何か変えていきたいよねって思っている人はやっぱりいて、そこで意見が出せるようになったのはよかった。


休日の過ごし方を教えてください。

倉橋:えー、難しいですね。今は川の整備ばかりしてるかな。夏は暑くてできないので、時間があれば川に行く。河川敷は笹が生い茂っていて、刈っただけだと足元が危なくて、地中に残った笹の根を地道に抜いてる。去年の夏一緒に川遊びした子達が、また来年も遊びたいからと、進んで整備を企画してくれたりして、そんな家族が少しづつ増えてるかな。

石原:いいですね。整備して行く先のゴールみたいなのはあるんですか?

倉橋:田んぼもそうだけど、田植えしたとこって愛着が持てるじゃないですか。だから、自分たちが耕していったところに愛着をもって、関係を作っていくのをゆるゆるとやっていこうと思っています。

石原:もともと川は好きだったんですか?

倉橋:あんまり遊んだことはなかったんだけど、昔、川に癒されたことがあったの。川って流れてるから、人間の毒みたいなものを抜いてくれる。当時自分のなんかモヤモヤした毒が川の流れで抜けていった気がしたんですよ。それからしばらくして、子どもが産まれて、かおれ渓谷で遊んだんです。誘われて行って遊んだら「どうしてこんな楽しいことを今までしなかったんだろう」って思った。その時、上の子が低学年ぐらいで下の子が園児だったと思う。

石原:自分が楽しかったんですね。子どもたちがすごく喜んでるって感じじゃなくて。私楽しいって感じですね。

倉橋:そうそう。それから何度か行くようになったんだけど、かおれ渓谷は混んできてしまった。その時に、今開拓している場所の記憶が浮かんで、「昔はあんな笹はなくて遊べる場所だったんだ」っていうのを思い出したんです。20年ぐらいの間に川岸で遊ばなくなっちゃったから笹が出てきちゃったけど、若いころはあそこでバーベキューしたり遊んでいたのを思い出して、草さえとっちゃえば可能性があるんじゃないかと思って開拓を始めたんです。

石原:なるほど。じゃあ、休日の過ごし方は、川を開拓しつつ遊ぶって感じですね。


どうしたらこのまちの入口が、増えると思いますか?

倉橋:圧倒的に住民の意識改革じゃないかな。それが一番重要。たぶんこれからは変わっていくはずだし、変われない地域は残れない気がする。

石原:具体的にいうと、「積極的にがんばって誰かに来てもらいたいというより、変わる地域に人は集まる」という意味ですか?

倉橋:人口減少時代に入っちゃったから、世の中も変わっていくし、価値観が変わらざるをえない。いままでは、なんだかんだ言っても人口増えてたからね。過疎のところは前から動いていたけど、岡崎市はまだ人口増加中だよね?

石原:そうそう。

倉橋:だからさ、なかなか自分への影響がないから、気がつくタイミングないけど、でもこれからは変わらざるをえないよね。たぶん、そのことを感じてはいるんだけど、まだ気づかないふりをしてる。でも、気づいちゃった人は、その責任において動くべきなんだよね。

石原:どんな動き?

倉橋:その人が感じたようにすればいい。例えば、私は好きなことをやっていくことのを発信しているよね。これはすごい勇気のいることだった。でも、楽しいようにやりたいことをやる。

石原:移住に向けてどうこうではなくて、このまちで暮らしてるってこと自体をもっと楽しんでいくってこと?

倉橋:そう。楽しんで発信するとか。

石原:地域のためになにかするとか、移住にどうこうとかではなくて、まず自分たちがこんなに田舎暮らし楽しいよって発信しだしたら変わるんじゃないかってことですよね。

倉橋:それしかないよね。貢献とかなかなかできんよね。これからみんな、忙しくて共働きで、子どもにお金かかる時代だしさ。でもなんか、楽しさがみつけられてちょっとだけ、ここが楽しいって思う人が増えていけば、新しい発想が生まれる。

石原:楽しいってことが重要ですよね。

倉橋:地域の人と関わる面白さを地域の人に理解してもらいたいな。地域づくりって面白くなっちゃったら、本当に面白いと思うんです。

石原:たしかに!倉橋さんは今、どういうところが面白いと思ってますか?

倉橋:今は、面白さに気づいた人が一人増えたときが面白い。嬉しい。地域づくりっていうのは、何かボランティアするってことではなくて自分のやりたいことを実現することで、それがそのまま地域に交わっていくことになるというのが一番いいと思うんです。今まで先輩方が中心となってやっていた地域の文化祭があって、そこに『子供店長のブース』を出したいという意見が出て、沢山の人に調整してもらって実現できたんだけど、孫の活躍を喜ぶおばあちゃん達の笑顔が沢山みられて凄く良い雰囲気だったし、来年は子供の親達が出店ブース出したい!とか盛り上がりました!地域づくりってそういう事の積み重ねだと思っています。

倉橋:話し合う場があって、やりたいっていう声が出て、各世代がつながるチャンスがあって、それで若い人たちがやりたいことが実現する。そういうことに関わることが楽しいです。今までの地域づくりって、たぶんどっちかって言うと先輩方は自分のためではなく地域のためという思いが強くて。それだと若い人には少し重いし、「やらなきゃいけない仕事」になってしまう。じゃなくて、「これやってみたい」チャレンジにワクワクして、人が集まってきて、そこでまた新しい発想が出てくるような関係性ができれば、地域は楽しく盛り上がっていくと思っています。あの川の遊び場も、初めは完成イメージみたいなのはあったんですけど、整備しながら人と繋がって違う活用の方法になってもいいかなあ思っています。そうやってやりたい!って気持ちが連鎖していくのは本当に面白いですね。

石原:山の活用にも取り組んでいらっしゃいますよね。

倉橋:そう、女子たちで出来ることが無いかって妄想中!山の活用はこれまでは男性が男性目線で問題をとらえてきたんだけど、それで一生懸命考えてこうなっちゃったんなら、新しいものとして女性の目線を。いいか悪いかはわからんけどね。アクションすることで、男性が気づくかもしれんし。山はほっといちゃいかんし。

石原:山って危なかったりするから、男性ってイメージだけど、この前、90歳になられても現役で林業をされている荻野定男さんに話を聞いて、林業をやっていて何が楽しいですか?って聞いたら、自分が手を入れた山が育っていくのが楽しい。わが子が育つ感覚だ。あんたたちが子育てするのと同じだわって言われて。もしその感覚なら、女性も男性と同じように育てる喜びっていうのを感じて山に関わっていけるのかもと、話を聞いていて可能性を感じました。

倉橋:いける気がするよ。

石原:いまなら、機械もいっぱいあるし、女性でも山仕事はいけますからね。

倉橋:今、私は世代交代する前に『山の境界線』を明らかにする必要があると思っていて、普通にやるとめちゃお金かかりそうだから、どうやったら目的を達成できるのか、いろんな人に話を聞いてる。いろんな人に聞いて思ったけど、立場や考え方がそれぞれ違って、参考になったけど、こんな風に違う立場の人に聞けちゃうのは図々しいおばちゃんだからできるのかな、男性は誰にでも聞くのは難しいかなと思った。

石原:あー確かにね。

倉橋:そう、それ女性の特権だなあと思ってさ、これについて得意な人はこの人に聞く。こっちはこの人に聞くって。結局全部違う答えなんだけど、それでもう一回自分が何したいかって考えて、その中で最適化して選ぶ。

石原:自分が納得いく方法をね。

倉橋:今まで山のことは気になってはいたけど、夫に山の話をすると、どうも嫌がる。なんでかなーと思っていたけど、今回自分が動いてみてその理由が少し分かった。めんどくさいしお金もかかる、山の未来も描けないし。でもこの問題を放置する事は、そのまま子供に残すことになってしまう。そう思うとお母さんは動いちゃうんだよね。我が子に残す山をどうにも価値のないものにしちゃうのはいかんなとおもうよね。山は危ないのかも知れないけど、季節を選んで山に入ったり、木材以外の価値を考えたり、できることはあるんじゃないかな。

石原:危ないのは作業で、調査なら全然女性でも全然問題ないですよ。

倉橋:そっか、それだと安心だね。最近やっと夫も一緒に行ってくれるようになったんだよ。

石原:へーすごい!興味があるというか、やらないといけないという気持ちは長男はあるもんね。

倉橋:やらなきゃいけないのはそう。

石原:でも、自分で率先してはね。

倉橋:そう、自分から率先してはやらないけど、私や子供が興味持って色々聞くと、大体の事を知ってて、聞いたこと以上に答えてくれる。まあでも、それなりにお金もかかってその先に価値を見出せないなら、山の境界線の調査をすることを説得するのも難しいとも思った。

石原:そうですよねえ。

倉橋:そう。でも、私は山に入るとワクワクするんだよね。



インタビュアー

石原 空子

岡崎市の中心部で暮らす。自然と人との関わりの中で生まれた文化や暮らしを探求中。2児の母。