いったーん

オクオカの
暮らしにふれる

オクオカは都会でちょっと頑張りすぎちゃった人を受け入れる場所!?利枝さんが考える里とまちの新しい関係を語っていただきました。

オクオカ暮らしのインタビュー

移住したまちで、どうしたら上手く暮らしていけるのかな。どんな暮らしが待っているのかな。移住前に抱える不安。その答えは実際にこのまちで暮らしている人の中にそのヒントがあり、またそれはこのまちの新しい入り口なのではないかと思い、インタビューに伺ってみました。今回は「地域の魅力を伝える」「オクオカ暮らしに近づく」「オクオカと暮らす」の3つのテーマにそって5つの質問項目を設け、それぞれの中から1つずつ選んでもらい、お話を伺いました。そして、インタビューの最後に「このまちの入り口を増やすにはどうしたらいいと思いますか?」という共通の質問を投げかけ、お話を伺った方々の地域に対する思いを聞いています。

お話を聞いた人:中根 利枝さん
子育ての経験も活かしながら里とまちをつなぐ活動に奔走中。
桑原(くわばら)町在住

駒立町に生まれ、名古屋のデパートに勤務後、ご結婚され、桑原町に居を構えます。子育てをしながらご主人のご実家であるマルタ園でパートとして働くようになり、改めて地元の人のおおらかさや自然の美しさに気が付きます。そんな経験から、岡崎のまちなかでママを応援しながら里の食材に触れてもらえるようなお店を開き、2022年まで営業されていました。お店を閉じてからはマルタ園に戻り今度は、まちから里に足を運んでもらいたいという思いで、場所の活用に取り組んでいます。 インタビューをした私とは、まちなかでお店をされていた頃に出会い、お店やまちで顔を合わせれば子育てのことやまちづくりのことなどを情報交換していました。お店を閉じ次のステージに進まれた利枝さんに駒立の魅力やこれからのことをお聞きしました。

お話を聞いた日:2023年8月10日

このまちの魅力を教えてください。

利枝:戦後の新しい産業としてぶどう園をおじいさんたちが作ってきてくれたというところかなと思います。この周辺地域の中でもかなり駒立は辺境の地なんですよ。

石原:そうだったんですね。

利枝:うちのおばあちゃんたちの代(90代)が子育てをしていたころなんて、この辺りは何もなかったと聞いています。でも、その中でぶどう園を作り、ぶどう狩りというレジャーをおじいさんたちが始めて、観光農園として組合を作って観光バスをこの地に呼んだというのは本当にすごいことで、その歴史があるからいまの賑やかさだったり、私たちが新しくチャレンジしようというステージが用意されていると思うんです。だから、そういう先人たちが作ってきてくれたぶどう園とぶどう狩りというレジャーがあるということが、この地域の魅力だと思っています。 お嫁さんとして嫁いだ人たちも、なんか山っていいね!みたいにハマってくれる人も出てきて、エミちゃん(利枝さんの義妹)も色んな子どもたちと一緒に川で遊んだり、自分の地域で野菜を作ってみたり、そういう新しい挑戦みたいなのも気軽にできるようになってきてるなあと感じてます。

石原:土壌として新しいことを起こしていいいんだよ!みたいな空気感が、ぶどう園のおかげであるということですね。

利枝:そう。あとは、いつも気にかけてくれるおじいちゃん、おばあちゃんたちがいることかな。近所のおじいちゃんおばあちゃんが、みんな気にかけてくれます。一方で、おばあちゃんたちも認知症で徘徊しちゃう人がいたりしても、まちの誰かが支えてます。あ、そこじゃないよ!家に帰ろうね、とか声をかけたり。

石原:都会だと通報になっちゃう案件が、まちの人の支えで大ごとにならずに済んでいるということですね。

利枝:そうそう。すぐそばなのに、私たちが住んでいる新しい団地は自動車関係のお仕事されているサラリーマンの方が多くて、子どもが大きくなるとあまり交流がないんです。そうするとちょっと疎遠になってしまうけど、駒立はずっと同じような人たちだから、誰々さん家の孫とかひ孫とか、そういう感覚なんです。だからこそ言い合える、助け合えるという関係性はあると思うんです。 それは、駒立から少し離れていた期間があったからこそ感じるのかもしれないけど、ぶどう園という産業を自営業でやっている人たちがいるからこそなんじゃないかなって思っています。


このまちで知ったおススメな風景を教えてください。

利枝:やっぱり、ぶどう園の風景ですね。でも、その風景はすごく昔からの風景というわけではなくて、おじいさんたちの時(戦後)はこのあたりは全部田んぼだったんですよ。

石原:なるほど。少し昔はこんな風景はなかったんですね。利枝さんがこどもの頃はもうぶどう園になっていたんですか?

利枝:はい。私が子どもの頃は、おじいちゃんとおばあちゃんはぶどう畑をやっていました。いまは最盛期から比べるとぶどう園の数は半分ぐらいになってしまっていて、専業でがっつりやっているところじゃないと続けていくのが難しく、半分ぐらいの人はやめてしまったみたいです。。でも私の子どもの頃からのふるさとの風景はぶどう園の風景なんです。いまはぶどうが実ってぶどう棚の下は日陰なんだけど、秋に向かってこれから全部紅葉して落ちていくんです。

石原:へー!利枝さんはぶどう園のどの季節が一番好きですか?

利枝:秋かな。紅葉していくところ。で、赤トンボが飛び立ち始めて、この風景が黄色になっていくその時期が私は一番好きです。秋分も過ぎて、そこからのちょっとのんびりした感じが。

石原:ぶどう園の忙しい季節が終わり、家族の団らんが戻りって感じなのかな。

利枝:そう。特に風も変わっていくその季節がすごく好きですね。ここだけじゃなくて他のぶどう園もぶどうの棚の色が変わっていくんですね。うちの実家から散歩すると、目の高さの棚もあれば、道路より低いところもあるんです。

石原:道路を歩くとぶどう棚を上から眺められる場所もあるわけですね。

利枝:そう。そういうぶどうの棚の風景が私は一番面白いなと思う。棚がつくり出す景色。それもぶどう園ごとで全然違うんですけど、それぞれを楽しんで欲しいなって思います。


このまちで今後実現したいことを教えてください。

利枝:若いころはきらびやかな都会での暮らしに憧れていたこともあり、名古屋で働いていました。結婚を機にこっちに戻ってきて、さらにまちなかでお店を開いて。そんなことをしながらいろいろ見ているうちに、みんな疲れていて、視点が狭くなりやすくなっているなあということを感じるようになりました。

私もそうだけど、子育てとかも、良いか悪いかで判断してしまったり、食べ物も良いか悪いかで選んでしまったりと。でも、こういう自然の中に来ると、まあいいかな、みたいに感じれることが多い。なんかそういう曖昧さを感じるのが里山の良さじゃないかなと思っています。 里山って自然そのものでも、完全に人工物でもなくて、人がこの山(自然)と共生するために工夫して調和した結果だから、許容する文化みたいなものも多分あるんだと思うんです。少し前に下の子に学習障害があって悩んでいたときに、ここ(ぶどう園)で働かせてもらっていて、働いているおばちゃんたちが「ほんなんみんな昔からおったわ」って言ってくれるんですよね。そういう、大らかさみたいなものを私はここでもらっていて、子育てが楽になったから、それをまちなかでもやりたくてお店を開いたんです。でもやっぱり疲れちゃうときもあって、そんな時にここに仕入れに来たりするとほっとするんですよね。

石原:お店を開いていたときにも、そんな風に感じながら里山とまちを行き来していたんですね。

利枝:はい。そういう経験も経て、最近では里山ってちょっと頑張りすぎた人を受け入れる場所でいいんじゃないかなと思っていて、人がここに来てくれるような仕組みを作りたいなと思ってます。具体的にはぶどう園のオフシーズンの新しい使い方として、キャンプだったり自然学習だったり、里山の魅力をもうちょっと体感できるようなものを今後作っていきたいと思っています。。ピザ窯のところで飲食の許可を取れるようにして、ドリンクとかいろいろなものを出したり、オフシーズンはお店をやっていたときに調理をお願いしていた子たちに来てもらって、1Dayとか2Dayのレストランを開いてもらったりとか。あとは、ゲストハウスもいずれやれたらいいなとか。それが農業の体験型でやりたいなとか。私が勝手に言ってるだけなんだけど。まずは、キャンプは絶対やりたいなと思っております!これが実現したいこと。いや、実現していこうと動いていることです。

石原:まちなかでお店をやっていたときは、里山でできたおいしいものを持っていこうという感じだったけど、今度は持ってくるよりも、来てもらおう!って感じに変わったということですね。

利枝:そう。逆に向こうにも届けれるものがあるなら、ポップアップでもいいし、イベントとかで持っていけたらとは思ってます。あとは、一緒に働いていた子たちもいろいろやっているから、まちともつながっていきたいとは思ってます。前にやっていたお店のつながりで全国各地域を回らせてもらったけど、こんな30分ぐらいでまちと山が行き来できるところ、ないですよ。しかも川がまちのの真ん中を流れててね。

石原:ほんとに。私もこんなに豊かなところないって思ってるんですけどね。みんな気づいていないというか、当たり前になると気が付かないものなんですかね?

利枝:そう。お店でいろいろな人生相談をしてきたけど、ここ(岡崎)に住んでいるだけで全然よくない?みたいな。

石原:やりたいこといっぱいありますけど、利枝さんならきっとできそうですね!

利枝:できる。もうベースがあるもん。私がつくったんじゃなくて、先人たちがつくってきてくれたものがあるから。あとは、私もおかげ様でいろいろな人とこれまでの経験の中で出会わせてもらったから、そういう人たちといろいろなイベントをやっていけば良いだけかなと思ってます。

石原:はい!ぜひやりましょう。

利枝:やりましょう。焚き火やるでしょ?石原さんたちも来て、音楽をかけながら歌ったりしてね。

石原:はい。楽しみにしてます。


どうしたら、このまちの入口が増えると思いますか?

利枝:数年後に、この近くにスマートインターができることを見据えて、いま動き出しています。、5年後には入口は必然的に増えていくことが予想されます。

石原:物理的な入口が増えてくるのは見えているわけですね。

利枝:そう。入口や、遊びに来る人が増えるんだったらここに何が要るかを考えてみると、私は一番いいのは等身大であることだと思っています。新しいものを作るんじゃなくて、いまあるこの里山の魅力を生かした自分たちの暮らしをまず楽しんで、それをちゃんと発信したりとか伝える。ってことが大事かなと思っています。 地元の素材を活かしたレストランの話を友人が教えてくれて、それはみかん農家の話しだったんだけど、ぶどうでやりませんか?と言ってくれて。いいなあと思って、駒立の素材を使ったレストランを実際にやろうと思っているんだけど。そういうのって、新しいことをやっているようで、実は地元にあるものをただ出しているだけだったりする。そういう等身大がすごく大事なことかなと思ってます。無理にきらびやかな何かをつくるんじゃなくて、自分たちがやっていることを出す。それはSNSでもいいし、今回のようなメディアでもいいし、あとはイベントみたいなもので魅力を出して、私たちの等身大を知ってもらってもいい。そうしたら、一緒にお仕事をできる人とか増えるかもしれないし。それで、もう行き来するの面倒くさいし、ここで暮らす?とかもあるかもしれないかなと思っています。

石原:なるほど。等身大っていいですね。

利枝:そうですね。あと、私、憧れの住まいっていうのもあって。コミュニティーがちゃんとあるシェアハウスっていいなあと思ってるんです。畑があったり、ピザ窯があったり、子どものお世話を見合ったり。駒立でそういう場所をつくるのが私の夢。で、私も老後そこで暮らしたい。「おばちゃん子ども見るわ」「一緒にご飯食べよう、おばちゃんが作るから」とかやりたい。そんなふうにしていったら、入り口も人口も増えるんじゃないかと思っております。

石原:それは素敵な暮らしですね!ありがとうございます。



インタビュアー

石原 空子

岡崎市の中心部で暮らす。川とともにある暮らしを目指すONERIVERの活動を行っている。二児の母。