いったーん

オクオカの
暮らしにふれる

オクオカに生まれ育ち教員として長くこの地域や子どもたちを見守ってきた竹内さんに、地域を知りそれを伝えることの面白さをお伺いしました。

オクオカ暮らしのインタビュー

移住したまちで、どうしたら上手く暮らしていけるのかな。どんな暮らしが待っているのかな。移住前に抱える不安。その答えは実際にこのまちで暮らしている人の中にそのヒントがあり、またそれはこのまちの新しい入り口なのではないかと思い、インタビューに伺ってみました。今回は「地域の魅力を伝える」「オクオカ暮らしに近づく」「オクオカと暮らす」の3つのテーマにそって5つの質問項目を設け、それぞれの中から1つずつ選んでもらい、お話を伺いました。そして、インタビューの最後に「このまちの入り口を増やすにはどうしたらいいと思いますか?」という共通の質問を投げかけ、お話を伺った方々の地域に対する思いを聞いています。

お話を聞いた人:竹内 謙作さん
形埜学区出身で大学卒業後は、額田地区で教員をつづけてこられた竹内さん。旧鳥川小学校が閉校し「ホタル学校」へと変わるプロジェクトに関わる中で、まちの魅力を探ったりそれを伝える喜びに気が付き、現在は教員の傍ら地域の魅力を伝えるツアーのガイドなども行っています。井田学区で奥様と暮らしながら宮崎小学校に通う。
石原町へ通う

竹内さんは、大学卒業後に額田郡の教員として教員生活をスタート。途中、岡崎市と額田町が合併しますが、旧額田郡という地域で子どもたちと現場で関わることにこだわり、今でも宮崎小学校の教室で毎日子どもたちと学ぶ生活をしています。また一方で、コーヒーの焙煎と地域の歴史を探るという趣味を楽しまれており、地域の歴史探訪ツアーやそこで湧き出る名水を使ったコーヒーの飲み比べなどのイベントを実施し、地域内外の人にその魅力を伝えています。以前より、道根往還についてのお話などをお伺いしていた竹内先生に、今回は改めて地域の魅力発掘にはまった理由や、これからのこの地域の可能性についてお伺いしました。

お話を聞いた日:2024年12月01日

このまちの歴史をおしえてください。

竹内:額田エリアは戦国の頃が面白い。このあたりは奥平氏が治めていたんだけど、数年ごとに織田についたり今川についたり武田についたり、ころころ変わって生き延びていきます。その過程の中でいろんな戦があったり事件が起きたりして、ぎりぎりのところで生き延びるわけです。「どうする家康」どころか「どうする奥平」と。そうやって生き延びてきた痕跡が、いまだにいろんな史跡として残っています。そういう場所を訪ねていくと、さっき言った点と点がつながっていきます。実はこことここがつながっているとか、こう関係しているとか、そんなことがどんどん見えてきて、面白いですよね。宮崎町にもそういうところはいくつもあるし、鳥川町にも夏山町にも形埜学区にもある。

石原:面白いですね。

竹内:そういうことを知ることで、今まで見ていた風景がちょっと違って見えてくる瞬間とかはすっごく面白いですよね。何気なく通り過ぎていた史跡には実はこういう意味があったんだ、っていうのを発見すると、わくわくするじゃないですか。そうすると、次はそれを誰かに伝えたくなる。伝えた相手も「知らなかった!」と驚いてくれて、それがまたなんだか嬉しい。歴史を紐解いていくと、この田舎でもそういう驚くようなことがあるんです。何もないようで実は結構いろんなものがありますよ。

石原:今調べたいと思っている宿題はありますか?

竹内:ここから作手の市場町に抜けるところ、田原坂っていうんだけど、そこには昔、集落があったんです。戦国時代、ここの滝山で合戦があったときに、武田方5000騎が押し寄せてきたけど、負けそうになって撤退して行き、それを奥平勢が追っていって、田原坂で後ろからバッサバッサと切りかかり、500人ぐらいあそこで亡くなっているというんだね。その500人って、すごい数じゃないですか。累々と死体が転がっていたというんだけど、そこら辺は集落もあったわけで、どんな感じだったのかな?というのを、探りたいと思っています。まだ現地を歩いたことはないのでまずは歩いてみたいですね。

石原:もう道はない?

竹内:ありますよ。上がっていくと、くらがり街道から作手に抜けるうねうね道の途中に突き当たる。そこから行けるんですよ。行けることは分かっているんだけど、まだ行ってない。

石原:ちょっと夜は行きたくないですね、今の話を聞いたあとだと。

竹内:そう。500人も亡くなっているからね。そういう生々しい場所とかがいくつかあって、そういうところをちゃんと調べてまとめてみたいですね。

石原:そういう歴史は結構埋もれちゃっているんでしょうか?

竹内:知っている人は知っているけど、表には出てこないですね。

石原:特に言わないですよね。

竹内:ただ単にそこがそういう場だったというだけじゃなくて、なんでそういうことになったのかとかも含めて、調べて記録しておきたいですね。

石原:そっちに逃げていった理由は、自陣への最短距離だったからですよね。

竹内:もちろんそうなんだけど、そこに至るまでにどうして武田が攻めてきたのかとか、それまでにどういう対立があったのかとか、その辺がストーリーとしてすごく面白いというか、それこそ大河ドラマになるぐらい。

石原:なるほど。それはいつもどうやって調べるんですか?

竹内:宮崎村史もあるし、平松七郎先生が調べてまとめた本があります。

石原:平松先生は随分前に亡くなれているけど、ちゃんと史料を先生が記録されていて、次のバトンを竹内先生が受け取ったという感じなんですね。

竹内:そうそう。自分は子ども時代に平松先生のことを知ってるからね。教育委員会の教育長だった時代を知っていて、おじいちゃんというイメージだった。そのおじいちゃんが実はすごい仕事をしてくれていたわけです。その人がまとめておいてくれたものを、引き継いでいきたいです。


このまちで今後実現したいことはなんですか。

竹内:岡崎市と合併したときに、額田町の住民はみんな「岡崎市と一緒になっちゃって、マイナスのことばかりだ」とすごくネガティブに捉えていたし、逆に岡崎市としては「広い土地ばかりあって、厄介なものを背負っちゃったな」って。だからどっちもネガティブな気持ちもあったと思うんだけど、自分はそうじゃないと思っています。岡崎の便利な市街地とオクオカの水だったり田んぼだったり自然というところがもっと一体化できれば、1つの市の中で全て循環できる。これはすごく意味があることだと思います。水もそうだし、お米もそうだし。ほかのところから何かを取り寄せるんじゃなくて、岡崎市という市の中で、オクオカのお米を味わい水を飲み、しっかり消費していく。地産地消で生活が回っていく仕組みができればいいなと思っています。

石原:今それが100パーセントできているとはとても言えないとは思うんですけど、何があったらできそうですか?

竹内:1つのきっかけになりそうなこととしては、今度12月10日の給食で額田のミネアサヒが使われることですね。

石原:そうなんですね。というか、今まではなかったんですね。生産量が足りなかったんでしょうか。

竹内:基本的に全然足りないから、そんなことはできないっていうことだったと思います。

石原:それが実現したなんてすごい。記念日じゃないですか。

竹内:来年以降も、こんなにおいしいお米が岡崎市内で取れるんだったら、少々コストがかかっても給食を使おうとなるといいですね。

石原:いきなり年間は無理でも、ひと月に1回なのか、年に2回なのかとか、増やしていけるといいかもしれません。

竹内:それを岡崎市が給食用として買ってくれて安定していくなら、農家さんも安心して作れると思うんです。安い値段じゃなくて、きちんとした値段で買ってもらえるということが分かれば作る。今も離農する人が増えているんだけど、1つ歯止めをかけるきっかけになるかな。

石原:岡崎でもこんなおいしいお米があるんだな、わざわざよそのコシヒカリ買わなくてもいいんですよということが分かるといいですね。

竹内:そういう循環ができると、岡崎市が岡崎市を支えていくというか。補助金頼みでどうのこうのじゃなくて、自分のところの中でちゃんと回っていくようなことができると思うんです。それだけのポテンシャルを持っていたところだと思うんで。

石原:38万人の消費が変われば、まちは変わると思います。

竹内:それが達成できれば、お米を作ろうという人も増えるだろうしね。今は安すぎて作ってもしょうがないと言う人もいるけれど、これだけの単価で給食用として安定的にで買ってくれるとなれば、そんなこともなくなるし、来年も再来年もずっとやってくれる。そうなれば作ろうという人は絶対いるはずだからそういう仕組みをぜひやってほしい。


どうしたらこの町の入口が増えると思いますか?

竹内:一緒に活動するとか、そういうことがもっとやれると面白いかな。例えば私が古道をいろんな人に紹介するにしても、歩いてみるとだいぶ荒れていることに気づきます。それで、「じゃあ今度みんなで歩きながら、熊手でも持ってみようか」とか。そういうことを今後いろんな場所でできたらいいのかな。鳥川も若い世代の人たちも、少しずつ地元のことを知ろうと関心を持ってくれるようになってきたしね。

石原:それは地元の若い人?

竹内:お母さんたちね。よそから嫁に来た30代、40代の人たちが、まだまだ鳥川のことをよく知らないからもうちょっと知りたいって。それで自分がオファーを受けて、ツアーをやったりとかもしたし、つい最近相談を受けたのは「子ども会として何か活動したいけど、何かいいアイデアないですか?」って。

石原:そうか、小学校は閉校になっても子ども会はあそこに残っているわけですもんね。

竹内:そうです。地域に関わりたい、貢献したいという機運がちょっとずつ高まってきています。そしたらそこにまたほかの人たちを呼べたら面白くなりますよね。

石原:シニア層が手伝ったり?

竹内:そうそう。あとは同じ豊富学区でもほかの地域の友達と一緒に活動するとか、そうやって輪が広がっていくと、田舎で何もないところが意外に面白いとみんなが思うきっかけになる。

石原:何もなくはないですからね。

竹内:みんな気がついていないだけでね。そういうことに気がつくようなツアーもやりたい。

石原:ツアーをきっかけに、活動者というか、消費者側じゃなくて生産者のほうに関わってもらえたら、ということですよね。鳥川がうまくいったのは、学校が閉じるぞという危機感が良い意味で作用したんですか?

竹内:閉じるまでの準備期間があって、閉じたことをきっかけにホタル学校というのにつながったのが大きいですね。準備と離陸が上手くできたかな。

石原:どれぐらいあったんですか?閉めますよと言われて実際閉めるまでは。

竹内:自分は鳥川小学校に6年いて、そのうちの最後の2年準備期間を経てホタル学校が始まりました。自分が鳥川小に赴任したときには、閉じるのは決まってはいなかったけど、ほぼ間違いないという感じでした。タイムリミットはあと何年だろうか、っていう。それまでになんとかかたちを整えたいという思いはありました。

石原:そこからうまくいまの鳥川につながっていくんですね。

竹内:課題もありますよ。例えばホタル保存会の平均年齢がどんどん上がり続けていることとか。でも、さっき言ったように、若い世代のお母さんたちがその気になり始めてきています。奥さんたちのパワーってすごいから、かたちは変わるにしても、そこに旦那が引きずられていく。それで地元出身の旦那が「じゃあ俺たちもやらないといかんな」となってくれたらいいな。ちなみにその旦那連中っていうのは私の額田中赴任時代の教え子です。教え子たちよりも、奥さんのほうがすごくやる気があるのが不思議ですね。

石原:外から来た人のほうが良さが分かるというのはあるのかもしれませんね。元々住んでいる人にしてみたら見慣れた風景というか、当たり前だけど。

竹内:そうなのかもしれないね。

石原:入口の増やし方としては、ツアーで最初は呼んできたり、お嫁に来るとかそういうきっかけで、その人がプレイヤーになってって感じでしょうか。

竹内:まずは魅力を知る機会を作る。魅力を知って、それを何度か繰り返していくうちに「魅力を守りたい」とか「つなげていきたい」とかって、ちょっとモードが変わってくるんですよね。こんないいところだったらほかの人にも知らせたいと。

石原:これは消えかけているから守らねばならない、みたいな謎の使命感に駆られる。

竹内:この素晴らしさを知っちゃった以上、自分はそれをしなきゃいけないんじゃないかってね。それってすごく大事。そこに住んだ人がそれを感じるのと同時に、住んでいなくても魅力を知っちゃった人が謎の使命感で頑張ってくれたりする。そういうふうにネットワークが広がっていくといいね。

石原:最高ですね。ありがとうございます。



インタビュアー

石原 空子

岡崎市の中心部で暮らす。自然と人との関わりの中で生まれた文化や暮らしを探求中。2児の母。