いったーん

オクオカの
暮らしにふれる

移住して9年たった今、萌さんが感じているこのまちの魅力やまちの人との関係性をお聞きしました。

オクオカ暮らしのインタビュー

移住したまちで、どうしたら上手く暮らしていけるのかな。どんな暮らしが待っているのかな。移住前に抱える不安。その答えは実際にこのまちで暮らしている人の中にそのヒントがあり、またそれはこのまちの新しい入り口なのではないかと思い、インタビューに伺ってみました。今回は「地域の魅力を伝える」「オクオカ暮らしに近づく」「オクオカと暮らす」の3つのテーマにそって5つの質問項目を設け、それぞれの中から1つずつ選んでもらい、お話を伺いました。そして、インタビューの最後に「このまちの入り口を増やすにはどうしたらいいと思いますか?」という共通の質問を投げかけ、お話を伺った方々の地域に対する思いを聞いています。

お話を聞いた人:唐澤 萌さん
9年前にご夫婦で移住し自然に寄り添う暮らしを体現。
千万町(ぜまんぢょう)町在住

9年前にご主人が岡崎市の森で仕事をすることに決め、二人は移住してきました。 自分たちで改修した自宅はコンポストトイレや太陽光パネル、蓄電池などを導入し、災害時にも困らずかつ自然とともにある暮らしを実践しています。ペットは犬と猫とにわとり。毎朝にわとりが産んでくれる卵が食卓に並びます。 この場所に移住してきてすぐは、これまでの経験を活かし、染色家としての活動をしながら、地域の田んぼで稲を育てたり、地元の喫茶店や公共施設でのアルバイトもこなすなどマルチに活動されてきました。昨年からは子育てがスタート、現在は子育てに専念しながら新しい暮らしに奮闘しています。 取材に伺った私とは、ご主人を通じて7年前に知り合い、共通の趣味や環境意識への考え方が似ていることもあり友人としての親交も深く、以前から、このまちの人口が減っていくことや、それについてどうしていくべきなのかということを、ことあるごとに話していました。

移住者の外からの視点を大切にしながら、このまちの当事者の一人として、減っていく人口や田畑の担い手不足等について向き合う萌さん。今回のインタビューでも、彼女だから言えるオクオカの魅力や暮らしへの考え方を聞くことができました。

お話を聞いた日:2023年8月09日

このまちに住んでよかった!と思えるエピソードを教えてください。

萌:怜央(萌さんのお子さんの名前)が来てから本当にいいなと思ったことがひとつあって。ここに住んでいると、同世代と育児の話ができないという現実はあるんだけど、一方で同世代だと子どもの人数、共働きかそうでないか、親世帯と同居かどうかとか、家庭によっていろいろな違いが鮮明に出て、話しているときの言葉選びに結構気を使うことがある。けど、ここは70~80代の人が多くて自分とは年齢が離れすぎていることもあって、良くも悪くも気を使わなくてもよい関係性で、本当にいいと思ってる。

石原:「今どきはそうなんだね~」っていうだけで認識してもらえる良さってことだね!

萌:そう。向こうも自分の孫じゃない、自分の嫁じゃないからそこまでやいのやいの言わないし、雰囲気としては、生きている内にこんなに可愛い子を抱かせてくれてありがとう!みたいな感じで。元気ならいい、生きていれば良い、という子どもに対する存在の肯定がすごい。想像では、こんな風に遊ばせるなんて!とか、こんな恰好させちゃって!とか、いろいろと言われるんだろうかって身構えていたけれど、実際はぜんぜん違った!
何か言われちゃうみたいなことはもちろんゼロじゃないんだけど、基本的には、いるだけでOK!って感じを出してくれる。 同世代の子がいれば、怜央は一緒に遊べて楽しいと思うけど、この時期ってできること、できないことの個人差がすごくあるじゃない?喋れる喋れない、歩ける歩けないとか。親はどうしたって気になって比べちゃうけど、そういうことに一喜一憂しないで、存在全肯定、今日も元気でそれでよし、みたいな空気は親としてはとても助けられる。

石原:同世代がいないからといって話す相手がいないってわけじゃないんだね。

萌:そうそう。話し相手はいるよ。世代ごとに白湯飲ませると良いとか、日光浴させると良いとか、時代ごと育児法に違いがあるから共感しあえない点もあるけど、結局何はどうあれ子供は育つっていう圧倒的な現実が実績として見える。それが育児をする上で、私のメンタルにはちょうどいいの。


最近、個人的にハマっていることを教えてください。

萌:神社にお参りすること。最近、八剱神社の氏子に怜央が入ったじゃんね。私たちが移住したときも氏子入りの儀式をやったんだけど別に信心深かったわけではなく、ただこのまちの人が喜んでくれるならやっておいたほうがいいのかな、ぐらいでやったんだけど。今、怜央と一緒に朝と晩に犬のさんぽする時に神社の前を通って手を合わせて「おはようございます。怜央の風邪が早く治まりますように」とかっておまいりするんだけど、氏神様っていうのが神様とはいっても、地域に暮らしていた人が亡くなって神様になられてあそこにいるって感じがしてて。

石原:神社に祀られている天照大御神とかではなくて、ずっとこの土地にいた誰かってこと?

萌:そう。元々この地域に暮らしていた人が、もう現世では会えないけど、あそこに行けば会えますみたいな感じかなって思ってて。

石原:氏子に入ったから、氏神様にも、あなたもこのまちの人と認めてもらったわけだね。

萌:そう。それで、毎日あそこで手を合わせるとなんだかスッキリするんだよ。というのもね、夏がこれだけ暑くて、じゃあ5年後はどうなるんだろう?って一時期私は思ったの。怜央が大きくなったときに地球は果たして生命の住めるような場所であり続けられるのかな?みたいなことを考え過ぎていてね。やばい、これ鬱だ、と思って。これはちょっとどうにかしないと、と思ったし、自分の人生への憂いはともかく、怜央の人生の行く末までは、ちょっと私だけでは手に負えないと思って。

石原:そっか、そういう深刻さから少しスッキリさせてくれる?

萌:そういう感じ。現実逃避ではあるものの八剱神社で手を合わせて、今日も無事暮らせますようにって朝一お参りに行くと、何の解決もしていないけど、若干心が楽になったんだよね。 この辺のじいちゃんばあちゃんたちがお宮の掃除を丁寧にやって、お参りに行って手を合わせてる姿に、そこまでの信心深さって何でなんだろう?って思ってたけど、最近は、じいちゃんばあちゃんも信心深いっていうよりも、人生には自分の力だけではどうにもならない心配事があって、それを身近なところで、私には手に負えないのでよろしくってすることで楽になってるんだろうなって思ってる。みんながどうしてそこまでしてあの神社に行くのかとか、神社もあれば野仏もあってお地蔵さんもあって、みんな全部行くじゃんね。そういう通っちゃう意味が少し分かり始めたのかも。

石原:それはやっぱり子どもがきっかけで、走り続けていた仕事をゆっくりにしてることが原因なのかな?

萌:たしかにゆっくりにしてる。しかも、気を紛らわすためにどこか行くというのもできない。昔のじいちゃんばあちゃん、特に車がなかった世代はここで生まれて、働いて、ここで死んでいくという人がいたはずで、その人たちにとって集落の外に自分の心配なことを受けとめてもらう場所が必要だったんじゃないかなあって、最近この生活になって分かるようになったのかも。怜央が来る前は本当に困った時に神頼みするぐらいのにわか氏子だったけど、今は怜央と朝散歩して、日中過ごして、夕方散歩して、という日をぐるぐる過ごしていく中で、朝手を合わせるというこのルーティンを気に入りつつある。

石原:この人(怜央くんを見て)のペースが昔の人の暮らしに近いのかね。

萌:もうこの人は昔も昔、原始時代と何も変わってなんじゃないかと思ってて。いやがおうにも、そのペースに付き合わされている日々です。

石原:そういうペースで暮らしていると、神仏も入ってこれるのかもしれないね。

萌:そう、入ってこれちゃうね。


おすすめの働き先をご紹介ください。

萌:パートだったら結構働き口はあるよ。接客業とかも女性なら割と何歳まででもいけるし。あとは簡単な事務職みたいなものだったら、タイミングを探っていればいつかはあるだろうし。

石原:じゃあ女性は意外と移住してきても仕事はある?

萌:パートであればいけるよ。

石原:いろいろ働いた結果、萌さん的に一番楽しかったり関係ができた仕事はなに?

萌:飲食店のアルバイト。あれで知り合いが増えたから本当によかった!

石原:お店にお客さんとしていろんな人が来るから?

萌:そう。人と情報が来る。あと新聞配達のアルバイトも土地勘がつく。あそこの誰々さんが、って話題にでたときに、ああ、あのお家か、みたいに分かるようになると嬉しかった。あと、あの人の家は今どうなんだろうね?という会話になったときには、「いまは留守ですよ」という情報を提供できる側になれる。そうなると一目置かれるんだよね。あんたよう知っとるの、みたいに。

石原:新聞配達と喫茶店のセットが最強だね。まちの情報を得て、提供して、またさらに集めるっていう。

萌:田舎では情報通は強いね~。特に地元の人が通う喫茶店というところに価値があると思う。

石原:でもはじめからそれを狙ってパートに行ったわけではないのかな?

萌:うん。それを狙っていたわけではない。前職をやめようかと思い始めていたときに声をかけてもらって。この地域で何を目指すか、だけどね。関係を築いていきたい、長く上手くやりたいならまちの人が通う喫茶店はおすすめ。


どうしたら、このまちの入口が増えると思いますか?

石原:では最後に、どうしたらこのまちの入口が増えると思いますか?

萌:その後移住してくれるかどうかは別にしてだけど、農業は一つの入り口かなと思う。私たちが移住してきた頃、千万町の休耕地を借りて20代の子たちが農業サークルを作って畑をやってたの。10年以上が経って彼らのライフステージも移って、今は子育て真っ最中だから前ほど頻繁には来てないんだけど、メンバーがちょこちょこ変わりながらもまだ活動は続いていて。その子たちは地域の行事に参加するくらい地域といい関係を築いていて。そのおかげで、私たちのようなよそ者でも入りやすかったというのはあると思ってる。

石原:なるほど。畑がいいっていいのは、何度も通うことになるから?

萌:それもあるし、おじいちゃんおばあちゃんたちは日中畑に出ているから、自然に出会って挨拶することができる。そうすると、膝つき合わせて話したことはなくても十分顔見知りになって。

石原:なるほど。畑が公共の場になってるんだね。

萌:この辺りは、2世代3世代が同居しているからお互いに気を遣っているのか、土地柄なのか、気軽に家に人を招き入れることがあんまりなくて。となるとみんな野良作業の間に畑や田んぼで交流するんだよね。外から来る人が畑をやることで、その交流の場に入っていくっていうのは、自然な入り口にはなると思う。農業という共通の話題もあるし。

石原:畑をやりにくるだけでも地域の人とつながれる要素があるってことだね。

萌:もう速攻でつながるよ。最近あんたよく来ているけど、誰?みたいな感じで。

石原:住むってなるといろいろ警戒心が生まれるけど、畑ならそれもないんだね。

萌:そうそう。私が移住してすぐに近くで田んぼを借りて始めたのもそういう理由もある。それはもう狙って始めた。どれだけ顔見せるかでしか親睦は深まらないからね。

石原:田舎の社交場は田んぼと畑だね。

萌:そう。で、畑を真面目にやる、田んぼを真面目にやるっていうだけで信頼してくれる気がして。家の中は散らかっててもさ。素人だから、とりあえず毎朝田んぼ行って、果たしてこれでちゃんと育ってるのかな?って眺めてるだけなんだけど、周りは頑張ってるな、って声かけてくれるから。そしたら、困ってることを相談できたりして、少しずつ関係ができてくる。集落の一員としての信頼を勝ち取るのに田んぼや畑はアピールしやすいだろうなって思って、半ば下心で始めた部分が大きかったな。今は、自分の食べる米を自分で育てるやりがいを感じてる。何よりも千万町のお米は美味しいし。

石原:じゃあ千万町の入口の1つとして、畑とか田んぼをやってみる。ってことだね。

萌:うん。その入口はいつも開かれている。

石原:外からやりたいですって来るのを待つだけじゃなくて、入口を増やすんだったら、そういう地を用意して、まずは畑や田んぼやってみませんか?と提示するみたいなやり方もいいのかもしれないね。


インタビュアー

石原 空子

岡崎市の中心部で暮らす。川とともにある暮らしを目指すONERIVERの活動を行っている。二児の母。