いったーん

オクオカの
暮らしにふれる

都会とオクオカを行き来して。20年以上をここで過ごす谷田さんに子育てと暮らしのことを伺いました。

オクオカ暮らしのインタビュー

移住したまちで、どうしたら上手く暮らしていけるのかな。どんな暮らしが待っているのかな。移住前に抱える不安。その答えは実際にこのまちで暮らしている人の中にそのヒントがあり、またそれはこのまちの新しい入り口なのではないかと思い、インタビューに伺ってみました。今回は「地域の魅力を伝える」「オクオカ暮らしに近づく」「オクオカと暮らす」の3つのテーマにそって5つの質問項目を設け、それぞれの中から1つずつ選んでもらい、お話を伺いました。そして、インタビューの最後に「このまちの入り口を増やすにはどうしたらいいと思いますか?」という共通の質問を投げかけ、お話を伺った方々の地域に対する思いを聞いています。

お話を聞いた人:谷田 昌広さん
23年前に、結婚したばかりの奥さんとご両親と一緒に移住し、その後3人の子育てを家族ぐるみでしてきました。現在も新しい趣味に没頭中。
木下(きくだし)町在住

木工作家を志し、修行をしそろそろ独立をと考えたときに工房の場所を探す中で、木下町の物件に出会い、当時お付き合いしていた今の奥さんとそしてご両親も一緒に引っ越し新生活をはじめました。その後、お子さんが小さい頃は市内の製材会社に務め出張では東京をはじめ関東地方への出張もこなしながらこの場所での生活を続け、今は再び工房で制作活動をしています。生まれ育った、知多の東浦町の新興住宅街とは、風景も文化も伝統も何もかも違ったそうですが、谷田さん自身だけではなくご両親や奥様も新しい場所での生活にすっかりなじみ、お子さん3人の子育ても家族とそして地域の人々と一緒に行ってきました。 私とは、以前の職場の先輩後輩という仲。当時から田舎暮らしを気に入っている様子をお聞きしていましたが、今回改めて20年以上暮らしてみたこの場所の魅力や、移住の時に話題となる子育てのことなどをお聞きしてきました。

お話を聞いた日:2024年2月29日

このまちの魅力を教えてください。

谷田:子育てするのにとてもいい環境があること。例えば自然いっぱいなところとかね。街中だと「公園でもボール遊びしちゃダメ」みたいに規制ばかりじゃん。ここは自由だよ、ちびっ子の頃から裏山を走り回れるし。うちの長男坊は自然が大好きだった。

石原:親としてものびのびと子育てができたんですね。

谷田:そうだね。子どもとの密度が濃かったというのかな。良い面でも悪い面でもあるかもしれないけれど、周りに子どもがいないから、その分家族や地域の大人と遊ぶ時間が多かったのかもしれない。

石原:どんな遊びをしたんですか?山に入って歩いたりでしょうか?

谷田:川遊びをよくしていたかな。釣りをよくしたよ。山は子どもたちで勝手に遊んでた。まだ子どもが小さかった時、俺はここから車で約1時間ほどの岡崎市内の会社に勤めていた。代わりにおやじがこの工房で毎日働いていたから、子どもたちはおじいちゃんの軽トラのロープを借りて、裏山に行って、自分たちでアスレチックコース作ってたんだよね。ロープを木に引っかけて、そこをよじ登るとか。

石原:このあたりだと子どもたちの通学はよく課題にあがりますが、どうでしたか?

谷田:保育園、中学の部活、なんといっても高校が一番送迎は大変。毎日駅まで送り迎えしなきゃいけないんで。真ん中の子は寮だったけど、お姉ちゃんと弟は本宿駅まで送らないといけなかった。ちょうど1時間かな。おばあちゃんが朝の送りは手伝ってくれるんで、むちゃくちゃ助かった。

石原:やっぱりそれはおじいちゃん、おばあちゃんの力が大きいですね。

谷田:大きいよ。保育園のときは毎日おじいちゃんだったからね。

谷田:千万町小学校があって、茅葺き屋敷って聞いたことある?

石原:はい、分かります。

谷田:あそこでふるさとづくりをずっとやってて、今も、荻野嘉美先生がやっているんだけど、うちの子どもがまだ小さかったときは結構盛んな時で、町からいろんなお客さんも来てくれた。当時は主催者側と参加者じゃなくて、「村民制度」っていう制度というかルールみたいなのをつくって、町から来て参加している人も村民ということにしていました。だから、参加してくれる人も一緒に主催しているような、みんな同列の感じで、すごく和気あいあいとしてた。子どもたちの交流もあったりとか、っていうのもすごくよかった。

石原:それを機に移住してくるような人もいたんでしょうか?

谷田:家があれば引っ越してきてたんだろうなっていう家族もいたけど、そこには至らなかったね。あのときにもうちょっと空き家とか積極的にここ貸せますよとか、この土地今売り出していますよっていうのを用意できている状態だったら、もっとよかったね。

石原:そうですね、それでも住まないにしろ、賑わいは生まれていたんでしょうね。話は変わりますが、谷田さんは弓道もされてますよね。お祭りの神事でしょうか。

谷田:神事としてもやるね。昔、東浦に住んでた頃は新興住宅地だったから何もなかったの。ここに来たら古い伝統がいっぱいあるから驚きました。

石原:あの弓道は秋とかのお祭りに誰か毎年代表の人がやるっていう、お役みたいなものなんですか?

谷田:ううん。あれは弓道やっている人がそれに出るっていう感じですね。

石原:なんで弓道をやろうと思ったんですか?

谷田:ずっと誘ってもらってたのよ。もう10年以上前にうちの奥さんが最初に始めて、今では夫婦で弓道をやってる。娘も中学高校弓道部だったんで。家で練習してると教えてくれる。

石原:家族でいろいろなことをやれるのはここの土地柄なんですかね。

谷田:そう、土地柄ですね。弓道は本当に楽しいですよ。


おすすめの風景を教えてください。

谷田:毎日キャンプ場にいるみたい。もう20年住んでいるけど、よそにキャンプ行ったことないもん。5年ぐらい東京に出張で行ってて、月曜日に新幹線で新宿の三軒茶屋に行って、朝の朝礼出て、金曜日の夜に最終の新幹線で帰ってくるのをずっと繰り返してきたけど、もう都会は無理だなってなったよ。ずっと都会にいたら頭がおかしくなりそうだったけど、週末にこっち帰ってきて2日間充電できるからまた都会に行けたね。特に星空が好き、周りが暗いんですごくきれいなんです。

石原:ただ日中に遊びに来るだけでは分からない風景ですよね。

谷田:20年以上経った今でも、いまだに外に出て、ぼーっと見てるもんね。あまりきれいだと、家族に声かけて、それでみんな出てきて、星空をわーって見る。

石原:子どもたちは反抗期、「こんな家出たい」みたいなのはなかったんですか?

谷田:うん。彼らたちは送り迎えが必須なの。友達と遊ぶためにも部活動行くためにも。

石原:自分のことをやるためには足が要ると。

谷田:そう。だから「もうそんなこと言うんだったらやってやらんぞ?」って言うと、ごめんなさいってなる。お兄ちゃんが小学校の高学年ぐらいになったときちょっとあったぐらいだけど、そういうふうに言うと理解はできるから。納得はしとらんかったかもしれんけど。

石原:いまでもお子さんたちは自然とかこの木下町が好きですか。

谷田:そうだね。お兄ちゃんが一番自然が大好きで、趣味が釣り。木下のこと大好き。けど彼が住んでた期間は家族の中で一番短い。中学校からずっと寮だから。

石原:戻ってきてくれるといいなと思います?

谷田:うーんでも、戻ってこないと思いますよ。会社通うのに遠いって言ってるから。

石原:結局そこなんですね。

谷田:通おうと思えば通えると思うけど、今の会社の寮だと会社まで歩いてもいけるじゃん。それと比べたら遠いよね。


移住を考えている方へひとこと

谷田:こっちに引っ越してきて消防団に入りましたがこれもいいですよ。消防団に入って同世代の人たちの顔と名前が大体一致するようになりました。

石原:消防や役は大変という声も聞きますが結局、コミュニティだから、入れば入ったで新参者的には友達ができるって感じなんですね。

谷田:自分のためになるから、消防団は入ったほうがいいですね。友達ができるしね。あまりにも田舎だから、ほかのみんなは中学校で同級生の仲間がいるんですよね。ここは寮があるから絆がすごいのよ。消防団に入るとか、なにかきっかけがないとなかなか馴染めない。行事ごとに出ていれば、顔を覚えてもらえる。

石原:谷田さんはいろんな役やってくれる、って荻野昌彦さんが言ってましたよ。お父さんも何か役をやられたんですよね?

谷田:おやじは町内の総代さんをやってたね。額田地区でも、総代をやれる人がどんどん少なくなってきてみんな困っているときに、うちの親父が引っ越してきて数年なのにいきなり2期連続でやったんだよね。

石原:やってくれてありがたいって言ってましたよ。

谷田:みんながやれなかったことをいきなりやったからね。本当は次の人が決まっているんだけど、その人がやれないんだったら「じゃあ俺もう1年やりますよ」って一番面倒くさい時期にやったんだよね。小学校が廃校になって、いろいろ合併してどうのこうのって会議だらけのときに。

石原:荻野さんはそういう様子を見て、田舎は新しい人に警戒心が強くなりがちだけど、受け入れていこうっていう気持ちにみんなをしてくれたって言ってましたよ。

谷田:親父は引っ越してきて楽しかったみたいだよ。当時57歳ぐらいで、会社を早期退職したんだけど、会社では自分がだいぶベテランさんになって、もの申すような人いなくなってくるじゃん。ところがここでは小僧扱い。「まだまだ若いんだから」って言われるのがうれしくてしょうがなかったみたい。

石原:そういううまく合致するケースもあるんですね。移住を考えるときに心配するのは、学校と医療機関って2大心配ポイントだと思うのですが、医療機関についてはそんなに不便はないですか。

谷田:診療所もありますよ。ここだと宮崎と、あと北部っていって形埜小学校のところにあります。宮崎が休みのときは北部がやっているし、多分交代制になっていると思います。

石原:住む人にとっては最低限のライフラインはあるよって感じなんですね。

谷田:比較的便利ですよ。木下とかは豊田の市役所行くのも豊橋出るのも岡崎出るのも時間が全部一緒なんだよ。全部1時間圏内なの。あと、移住してくる人に伝えたいのは、携帯もネットも心配ないよってことですね。俺が引っ越してきた当時って携帯電話つながらなかったんです。ネット環境は完全に整っているし、診療所もあるし市民病院までもそんなに遠くない。何かあったとき救急車ですぐ運んでくれる。消防署も旧額田町内に出張所が2つある。

石原:お子さんたちの交通の面は今はどうですか。

谷田:小学校と中学校はバスで全部送り迎えになるね。この3月で寮が廃止になっちゃうから。もし運動やらせたいんだったら、普通にスポーツクラブに入るのもいいよね。さっき言ったみたいに、豊田、豊橋、豊川、岡崎、どこ行くのも同じような時間、距離感なので、どこでも好きなところ入れられるって感じかな。平日は自然の中走り回れるから。おすすめですよ。だから、移住者へ一言いうなら「おすすめです」。


どうしたらこのまちの入口が、増えると思いますか?

谷田:これはもっと行政にも頑張ってほしいな。みんな移住先をいろいろ探しているわけでしょ?候補はたくさんあると思うんだよね。それでどれだけ補助があるかお金の面も大事ですよね、特に子育て世代向けの支援がいいと思います。うちみたいに家族で遊べばいいじゃんって思う人だけじゃなくて、子どもは子どもたちで遊ばせたいって普通は思うじゃん。「子どもにより良い環境を」って思って引っ越し先を探してるんであれば、同世代の子どもたちがたくさんいるところに当然行きたいよね。そうしたらやっぱり、教育に関わる助成金があったり子育てへのバックアップがある地域、人が集まっているところを条件にみんな探すんじゃないかな。

石原:子どもたちがたくさん来るとやっぱり地域としてもいいんでしょうか。

谷田:やっぱり子どもの声が聞こえないと、地域に活気がないよ。おじいちゃんおばあちゃんは子どもの声が聞こえるとすごく元気になる。老人ホームでペットセラピーとかあるじゃん。あれと一緒だよね。

石原:なるほど。地域の人としても子どもの声があると活性化していく。

谷田:皆さん自分のお孫さんとかも大きくなっちゃったりとか、あとは、もう最初から一緒に住んでいないから、遠くでめったに会えないっていう方が多いんで。そしたら近所にいる他人の子でもすごくかわいがるよ。藤井君のところなんて、おじいちゃんおばあちゃんがどれだけいるんだろうっていうぐらい世話してもらってるんじゃないかな。

石原:それは子どもにとってもいいですかね。

谷田:いいと思うよ。うちの子も隣のおじいさんにずっと遊んでもらってた。俺が出張ばかりだったから、帰ってくると自転車乗れなかった子が乗れるようになっていたりとか。補助輪つけたり外したりとか、隣のおじいさんが全部やってくれた。毎日おじいさんと遊んでたよ。普通だと子どもだけのコミュニティだけど、ここなら、幅広い年齢層の大人とも付き合えるというか。まあそれしかいないからそうなるんだけど。

石原:コミュニティの中で育っていけるのは、こういう地域ならではですよね。子どもにとってもいいし、大人にとってもすごく生きがいというか、活力になっていく。それはとてもよい風景ですね。



インタビュアー

石原 空子

岡崎市の中心部で暮らす。自然と人との関わりの中で生まれた文化や暮らしを探求中。2児の母。