いったーん

オクオカの
暮らしにふれる

岡崎の石材文化を支え続けて40年。滝町で生まれ育った中根さんに、オクオカと暮らしのことを伺いました。

オクオカ暮らしのインタビュー

移住したまちで、どうしたら上手く暮らしていけるのかな。どんな暮らしが待っているのかな。移住前に抱える不安。その答えは実際にこのまちで暮らしている人の中にそのヒントがあり、またそれはこのまちの新しい入り口なのではないかと思い、インタビューに伺ってみました。今回は「地域の魅力を伝える」「オクオカ暮らしに近づく」「オクオカと暮らす」の3つのテーマにそって5つの質問項目を設け、それぞれの中から1つずつ選んでもらい、お話を伺いました。そして、インタビューの最後に「このまちの入り口を増やすにはどうしたらいいと思いますか?」という共通の質問を投げかけ、お話を伺った方々の地域に対する思いを聞いています。

お話を聞いた人:中根 浩司さん
生まれも育ちも滝町の地元住民。家業を継ぎ、岡崎に残る数少ない山石屋の一人として、今もなお石切場から石を出し続ける。
滝町在住

岡崎に残る数少ない山石屋(石切場から石を切り出す仕事に従事する方たちのこと)の一人として、今もなお、オクオカにある石切場から石を出し続ける中根浩司さん。約40年間にわたり山を見守りつづけてきた中根さんに話を伺いたく、共通の知人から紹介いただきました。室町時代から続くとされる、山石屋の伝統(岡崎城築城の際に石垣の材料を切り出したのが始まり)と、石切場のスケールにひたすら圧倒されながら、終始ワクワクするお話を聞かせていただくこができました。 最盛期には150件ほどあったという石切場。時代の変化とともに閉山する石切場が増え、山石屋の仕事に従事する方は年々減少しています。ただ中根さんからは、それらに伴う気負いのようなものは感じられず、変わりゆく現状の中で自分がやらなければいけないことを淡々とこなす。そんな長く関わってきたからこそ見出せる力強さを感じることができます。 インタビュー本文では、そんな中根さんだからこそ言える、オクオカの魅力やまちで暮らしていくための秘訣がユーモアたっぷりに語られています。気負わずマイペースにまちで暮らし続けていってほしい。そんな中根さんの願いが込められているようにも感じることができます。

お話を聞いた日:2023年11月30日

このまちで知ったおススメな風景を教えてください。

中根:地元に住んでいると地元の良さってなかなかわからないけれど、おすすめはやっぱり瀧山寺。あそこはすごいお寺だよ。

岩ヶ谷:僕も大好きで、もう何度も行きました。

中根:あんな仏像なんてなかなかないものだよね。瀧山寺の仁王門から本堂はすごく離れたところにある。ということはその間は全部お寺だったんだもんな。歴史も古いしね。瀧山寺の和尚さんに聞くとよく分かるんだけど、明治になってからお寺が荒廃した時代があったんだよね。お寺が食っていけなくなっちゃった。

岩ヶ谷:どんな理由なんでしょうか。

中根:明治になってからの廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)とかね。あとはもともと、瀧山寺は徳川家の庇護を受けていて収入というか寄付があったもんでそれまでやっていけたんだけど、明治に入ってそういう庇護が受けれなくなった。昔よく聞いたのは京都の古物商に行くと瀧山寺から出た宝物がよく売りに出てたらしいよ。

岩ヶ谷:そういうことがなかったら、もっと希少価値の高いものが残っていたのかもしれませんね。そう思うと、少し残念です。瀧山寺といえば、天下の奇祭とも呼ばれる「鬼祭り」がありますよね。中根さんはいくつぐらいから参加されているんですか?

中根:18歳から毎年出てるね。ただ、昭和天皇が崩御したときに自粛で中止になったのと、本堂の屋根替えで大規模な改修しているときもさすがに中止になって、過去に2回中止になったね。


※滝山寺鬼まつりの様子。中央右手で松明を持っているのが中根さん。

岩ヶ谷:鬼祭りは、中根さんにとってどういうイベントですか?

中根:18歳の時、うちの弟が孫面※1をかぶったんだよね。まだ親父も元気だったもんで「家族なんだからお前も手伝え」って言われてね。要領も分からんし、流れもよく分からんよね。今は昼間に予行演習やってるけど、昔はぶっつけ本番だもんね。そんでみんな酒が入っとるし。あとは、とにかく熱かった。
※1 鬼祭りに登場する鬼面のこと。孫面の他に「祖父面」「祖母面」がある。

岩ヶ谷:見ているほうでも熱さを感じるぐらいだから、きっと中の人たちは熱いんだろうな、と思っていました。鬼祭りのことはまちなかに住んでいる人でも知らない人が多いですよね。自分も最近まで知らなかったので、実際に見に行って、お話を聞いて感動しました。

中根:映像じゃあの熱さが伝わらんもんな。

岩ヶ谷:ぜひあそこには来てもらいたいですね。東照宮も改修中ですよね。

中根:40何年前にいちど改修したんだよね。俺が中学校の頃は綺麗だった。東照宮ってあちこちにいっぱいあって、東照宮だから徳川家康を祀っていて、一番有名なのは日光東照宮、次が久能山。この2つは幕府直轄で作った。俺も生半可な知識だけど、瀧山東照宮も、同じように幕府が作れといって作ったもので、これってすごいらしいんだよ。ほかの東照宮は「徳川家康を祀る東照宮を作らせてください」って要望を出して作ったものが多いらしい。なので三大東照宮と言うと、日光、久能山、瀧山東照宮になる。大きさじゃなくて、幕府直轄で作れと言われて作ったところという意味なんだろうね。


最近、個人的にハマっていることを教えてください。

岩ヶ谷:ハマっているというか、必要性に駆られてだと思いますけど、中根さんは山石屋の現場の様子などをYouTubeにアップされていますよね。そちらについて教えてください。

中根:はい。きっかけは岡崎市の観光課で「岡崎フィルムコミッション」っていう企画があって、その一環でライターの人がいろいろ書いてくれたんだよね。その際に、ウェブに記事があがるんだけど、俺が個人的にやっていた動画のリンクを貼れるよって言われたから、それがきっかけでYouTubeを始めた。やり始めて10か月ぐらい経ってから急に再生回数が増えだして。一番多いときで1日で55万回再生とかね。何があったのか分からんけど、今その動画は620万回再生になってる。ほとんど外国の人が見とるかな。

岩ヶ谷:外国の方からすると、どういうところに魅力を感じるんですかね?

中根:コメントも千何件も来てるもんで、Googleの自動翻訳で読むんだけど、そうすると電話番号が書いてあって「私の山に来てください」っていうコメントもあった。海外の丁場※2は大きな会社組織でやっとるもんで、会社のお偉いさんが「動画撮るぞ!」って言わない限り撮らんような気がする。
※2 石を割ったり、加工したりする場所のこと

岩ヶ谷:石を切り出すところを、わざわざ撮ったりしていないってことですかね?それが珍しいのかな。

中根:わざわざ従業員の人が面白半分に撮るってことは、業務中はないんだろうなと思う。

岩ヶ谷:僕も何度か見ましたが、切り出しているありのままの様子が流れているので、なにかの作業のお供に見る作業用動画として良いですよね。

中根:もともと前から動画とか写真は半分趣味でやってたんだよ。おじいさんの時代、戦前の丁場の写真も出てくるじゃんね。戦前に写真屋を呼んで、大きな石を割ったときの写真を記念写真で撮るっちゅうよっぽどすごいことやっとんだよな、と思ったよ。

岩ヶ谷:お仕事の様子以外ではどんなものをあげているんですか?

中根:鬼祭りの様子もあげたよ。

岩ヶ谷:中から撮ってるってことですか?

中根:うん。俺は松明持っちゃうもんで、カメラが持てないから三脚置いてやっとるんだけどね。和尚さんに許可もらって撮った。

岩ヶ谷:それは貴重ですね。せっかくなので石切り場のことももう少し聞きたいんですが、このあたりのエリアにはもともと石切り場が多かったんでしょうか?

中根:滝町、米河内、あと額田郡のほうにもいっぱいあったね。うちらは山を採掘する業者で、愛知県石材協同組合っていう組合を作っていて、その人たちがこの辺でやっていました。豊田市の足助の山へ行った人もいたけどね。

岩ヶ谷:足助でも同じように御影石が採れるんですね。

中根:御影石だけど、もっと目の粗い石。

岩ヶ谷:ちょっと距離が離れるだけでそんなに変わるんですね。

中根:変わる。岡崎の滝町とか額田郡とかは目の細かい御影石が採れるね。


これからこのまちに移住してくる人に向けて一言おねがいします。

中根:村というかまちとの付き合い方、人との距離を、これまでよりももう少し近づけるようにして生活したらいいのかなと思いますよ。自分にできる範囲でいいんでね。

岩ヶ谷:なるほど、やっぱり村に馴染むというか。

中根:そうだね。田舎で暮らしたい人がもうちょっと距離が離れた人間関係がいいっていうのも分かる気がするんだわ。例えば地元の喫茶店に行っても、来る人はみんな地元の人じゃん。俺も実はそういうの嫌じゃんね。だから車で遠くまで遊びにいくことも多かったよ。だから仕方ないところもあるけど、とはいえある程度近いほうがいいんじゃないかな。若い人が来ると、消防団に誘われると嫌だとか、そんなのよくあるよね。俺も訓練嫌だったもん。

岩ヶ谷:消防団は何年やられました?

中根:俺は10年。他の地域から移り住んだ人たちからすると、こっちの人たちとは世代もちょっと離れているかもしれないけれど、そういう人たちと付き合う場があると地元のこととかよく分かるんじゃないかな。

岩ヶ谷:なるほど。地域のお役目みたいなものは、お祭りみたいなものだとか消防団以外だと、どういったものがありますか?

中根:当然子どもがいれば、学校での学校行事はあるな。

岩ヶ谷:PTAとかですかね?

中根:うん。人が少ないもんで、すぐ役回ってくるな。俺は消防団入って、消防団抜けたらすぐPTAの役やらされて、それ終わったと思ったら農業の方でも地域の役をやらされたよ。

岩ヶ谷:中根さんご自身もそうだったように、まちの人と距離をとりすぎちゃうのはよくないなってことではあると思いますけど、とはいえがっつりと入っていかなくても自分がとりたい距離感みたいなものは保てるんですかね?

中根:よく言うのは「1つ役やっときゃほかのもん断れるよ」ってね。「今これやっとるんで、ごめん、やれません!」って、こうやって逃げていきなっちゅう話だね。

岩ヶ谷:なるほど。こういう山間部に来るとそういうのに入らないといけないというか、プレッシャーやハードルになっちゃうことは結構ありますよね。そういう時にも上手く立ち回ればいいってことですね。

中根:何もやってないと「なんだあいつ?」って言われちゃうもんね。一番楽そうな役を1個やっておいて、あとは断るとか。

岩ヶ谷:あまり過度にプレッシャーを感じずに上手くやっていくことが暮らしの秘訣ですね。


どうしたら、このまちの入口が増えると思いますか?

中根:よく山間地域に行っちゃうと仕事がないとか通勤が遠いとか、そういうネガティブな面を考える人はいるよね。でも滝の場合は通勤の苦労とかはそんなに考えんでも済むし、土地も安いし、いいところだとは思うよ。ただ調整区域っていう枠があるもんで、新規になかなか住宅が建てれないんだよね。だから簡単に家が建てられるようになるのは入口としては重要かな。

岩ヶ谷:調整区域が多いんですね。

中根:基本的に東名からこっちは調整区域だから。

岩ヶ谷:なんでなんですかね?

中根:なんでだろうな?農地は基本的に潰しちゃだめだよっていうことかな。滝に限定して言うんだけど、ほかの地域と違って、国の補助金で田んぼにしたところが多いんだよね。でももう高齢者ばっかりだからやる人もいなくて荒れ放題だった。

岩ヶ谷:それで再開するところは再開して、難しいところは新たな利用方法を考えたいということですよね。

中根:そうそう、でも利用っていっても「農地だもんで何もできません」ということになっちゃう。名義を農地から山林に変えようってこともできるんだけど、木が生えてても再生不能っていう条件じゃないと山林に認められませんとか、そういう制約がある。

岩ヶ谷:なるほど、それは行政の方々にも協力してもらうことも欠かせませんね。

中根:そういうことが解決できれば、滝でも川沿いの平らなところには家が建つような気がするし、入口になるんじゃないかな。



インタビュアー

岩ヶ谷 充

8年前に岡崎市に移住。川とともにある暮らしの実現を目指し、地域の人々と活動を行う。犬が好き。